消えた輪の彼岸

東京の繁華街から少し外れた位置にある、古びたアパート。
その一室に住む村上直樹は、日々の生活に追われていた。
彼の仕事はストレスに満ち、現実を忘れるために夜遅くまで飲み歩くことが常だった。
そんな彼の日常が変わったのは、ある晩のことだった。

帰り際、ふと目に留まった不動産屋のショーウィンドウに映っていたのは、アパートの真向かいにある古びた神社の姿。
直樹は、その神社に強く惹かれた。
夜の暗闇に包まれた神社は、まるで何かを語りかけているかのように静寂で、彼の心に不思議な感覚を与えた。

その晩、仕事を終えた直樹は思わず神社の方へ足を運んでしまった。
手を合わせると、どこか心の底から感じるものがあった。
彼は神社の雰囲気に癒され、日々のストレスを一瞬忘れることができた。
そのまま、毎晩のように神社に通うようになった。

しかし、ある晩、神社を訪れた直樹は異変に気づく。
周囲の空気が重く、どこか気味が悪い。
神社の中央に置かれた古い輪のようなものは、まるで異次元の扉のようだった。
彼に向かって「生」を求めているかのように感じられ、直樹は思わず近づいてしまう。

そして、手を伸ばした瞬間、輪の中に引き込まれるような感覚が襲った。
彼はそのまま消えてしまう。

目を開くと、見慣れない顔が目の前にいた。
青年の姿をしたこちら側の住人に、「お前もこの輪の中に入ってきたんだな」と言われた。
直樹は混乱し、何が起こったのか理解できない。
青年の目はどこか虚ろで、まるでこの世のものとは思えない光を放っていた。

「ここは“彼岸”だ。生者が輪に触れることで、我々が現れた時に消える者たちの思いを受け取ることができる場所だ。お前も、消えかけた一人だろ?」青年は言った。
直樹は背筋が凍る思いをした。
この世界がどこなのか、彼は想像したこともなかった。

「生きるためには、誰かをこの輪の中に引き込まなければならない。そうでなければ、一緒に消えてしまう運命だ」と青年は続けた。

直樹は、わけもわからず恐怖に襲われる。
彼は逃げ出したいと思ったが、足は動かなかった。
消えかかっている存在を感じ、周囲を目に留める。
そこには、かつて彼が知っていた人々の姿があった。
友人や同僚、家族まで、彼らはただ虚ろに立ち尽くしていた。

「君たちもこの輪に引き込まれた。助け合うために、誰かを引き入れるんだ」と青年の言葉は直樹の心に深く突き刺さった。
彼は、何とか逃げ出そうとするが、出口は見えず、状況は絶望的だった。

果たして、彼は誰かをこの危険な輪に引き込むことができるのか。
直樹の心には、選択の重みがのしかかる。
強く思い悩む彼の目は、無意識に今晩飲んだ居酒屋の看板が脳裏に蘇る。
一緒に飲んでいた同僚の大介の顔が、彼の心に浮かんだ。

ついに直樹は、自分自身の意思で決断を下す。
彼は一瞬の隙を突いて、意識を大介に向ける。
その瞬間、また消える感覚が全身を駆け巡り、直樹は真の恐怖に直面した。
その声を再び思い出した。
彼の声が彼岸で響いた。
「生を望むなら、選べ。ただし、考え抜け。」

直樹はそのまま意識が闇に引き込まれる。
彼は大介の中に自分を落としてしまったのか、自らの運命を受け入れてしまったのか、いまさら後悔する余地もなくなった。
闇が消え、大介の手を引いたまま、直樹は完全に消えてしまったのだった。

結局、神社の古びた輪は新たな生を求めて、誰かを呼び寄せ続ける。
直樹が望んだ生は、決して戻ることができない魂の運命を伴うものだった。

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