「伸びる手の記憶」

ある静かな夜、佐藤健一という青年は、友人たちと共に心霊スポットとして有名な廃墟の中に足を踏み入れた。
そこは、かつて多くの人々が住んでいたが、ある事件が起こり、一夜にして住人たちが消えてしまったという噂のある場所だった。
廃墟には、さまざまな「え」がつく不気味な現象が報告されており、特に「手」にまつわる怪異が恐れられていた。

健一は興味深々で、友人の中でも好奇心が強く、その廃墟の真ん中にあるという「手の跡」に向かった。
一行が建物の中を歩いていると、ひんやりとした空気が流れ、更に薄暗い通路を進むにつれて、心がざわつくのを感じる。
何かが彼らを見ているような気配がするのだ。

ようやく目の前に現れたのは、長い年月を経て崩れかけた壁に、何かに引き裂かれたような、不気味な手の形が浮かび上がった跡だった。
友人たちはその「手」を見つめ、恐れや興奮が交錯する感情を抱いていた。
健一はその場に立ち尽くし、手の跡に近づいてみようと考えた。
しかし、その時、急に背後から冷たい風が吹き抜け、彼はぞっとした。

「ま、まさか…」誰かが囁くように言った。
健一も思わず振り返り、一瞬の沈黙が場を支配する。
その瞬間、廃墟の暗闇から、手の形をした影がうごめくのが見えた。
血のように赤い指先が彼らに向かって伸びてゆく。

恐る恐る近づいてきた友人たちだったが、健一の心の中では不安が拡がる。
周りにはもう誰もいない。
彼はその瞬間、なにかが自分に向かって手を伸ばしているような感覚を覚えた。
「助けて」という声が囁く。
誰の声なのかわからないが、その声に引き寄せられるような感覚があった。

「やっぱり帰ろう!」と友人の一人が言ったが、健一はその場に留まることにした。
彼は探究心から、そして何か特別なことが起こるのではないかという期待感から、さらに近づくことに決めた。
手の跡に手をかざしてみると、その瞬間、急に視界が真っ暗になり、彼は何かに引き込まれる感覚を覚えた。

目を開けた時、健一は奇妙な空間に立っていた。
辺りは薄暗く、霧が立ちこめ、遠くにかすかに人影が見える。
しかし、それらの影は彼に近づいてくることはなかった。
すると、先ほどの「手」が姿を現した。
そこにいたのは、無表情のまま手を差し伸べる何かだった。

彼は恐れを感じながらも、その手に囚われた人々の姿が見えた。
彼らは懸命に助けを求めているようだったが、彼には何もできない。
自分がこの場にいる理由を感じ、彼は言った。
「僕は、何をするためにここにいるんだ…?」

その時、手の持ち主が静かに口を開いた。
「ここにいる者は、助けを請う時、必ず何かを失っている」と告げられた。
健一はその言葉の意味を理解し始める。
手を伸ばすことは、ただ助けを求めることではなく、自らの「え」を捨て去ることを意味しているのだ。

気がつくと、彼は廃墟の中に戻っていた。
友人たちが彼を心配して見つめ、恐れを抱きながら彼に近づいてきた。
「大丈夫か?」と声をかける。
健一はただ静かに頷いた。
彼はこの体験がもたらした教訓を心に刻んだ。
「命の重みを忘れてはいけない」と。

周囲が元通りの世界に戻っていく中、彼は背後でかすかに響く声を聴いた。
「忘れないで…」それは、命を失った者たちからのメッセージだった。
健一は友人たちと一緒に廃墟を後にしたが、その出来事から彼の心には常に「手」のことが刻まれていた。

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